令和2年4月法学部発行紹介冊子からの抜粋ですが、その後本人の許諾を得て内容等を一部変更している場合があります。

留学体験記

八里 直生さん

滋賀県立膳所高校出身

2016年3月法学部を卒業。
JICA(独立行政法人 国際協力機構)勤務を経て、
現在、国連開発計画(UNDP)に勤務。

「なんでもできる」自由を食べ尽くす。
そして京都から世界へ。

大学入学時には、国連職員になることを目指し、そのために海外の大学院への進学を考えていました。そこで、学部の4年問はガイドサークルで英語力を鍛え、GPAを高めることに集中しようと思っていました。

しかし、オーストラリアへの短期留学で出会った教授からの助言を受け、当初は予定していなかったイギリスへの1年間の交換留学に踏み切りました。これが大きな転機になり、勉強だけではなく、友人と話す中で得た新たな価値観、セルビア・コソボでのインターンシップといった経験を積むことができました。

また、このインターンシップを通じて、国際法で保護されない国内避難民問題に関心を持つようになりました。国際機関で働くためには途上国支援の職務経験を積むことに意味があると考え、卒業後は、日本の目線で途上国開発に関われるJICAに就職しました。

皆さんにも、京大という枠に収まらず、自由を食べ尽くすことで、自分の世界を広げ、切り拓いていただきたいと思います。

1・2回生
とりあえず、
やってみたらええやん!

幅広く挑戦、そして過労で倒れる

1回生のときは、大学院進学のためにGPAを上げようとして全学共通科目・専門科目を限界まで履修。さらに、サッカー・ガイド活動・語学の勉強・学祭の準備・免許の講習などを頑張った結果、過労で倒れてしまいました。自分のペースで生活する必要があると反省し、2回生以降は、活動範囲を絞りました。

留学に挑戦!

1回生の春休みには、シドニー大学への1ヶ月の留学プログラムに参加。そのときの担当の教授に背中を押され、2回生のときに交換留学に応募しました。はじめは、学部で留学すれば留年するし、お金もかかるので無理だと諦めていたのですが、その先生に「1年くらい自分でバイトして稼げばいいやん、今しかないんやから挑戦してみたら?」と言われたのが大きかったです。

留学に向けて準備を進める

憲法・民法・刑法にはまったく関心が持てず、「自分のやりたいこと」を意識して、国際政治学や国際機構法などを履修しました。マンチェスター大学への留学が決まった後は、留学の準備に集中。外国人観光客をガイドするインカレのボランティアサークルなどで英語力を強化、スペイン語のブラッシュアップのため、2回生の春休みに1ヶ月間、スペインに語学留学をしました。このときの経験は、JICAや国連での仕事にも活きています。

3回生
世界で出会った、
頭の天窓が開く瞬間

国際機構法ゼミに参加

前期は、国際機構法のゼミに参加。国際投資法の模擬裁判の世界大会(FDI Moot)を目指しました。資料の読み込み、ディスカッション、ペーパー作成を全て英語で行うので、非常にハードでした。

マンチェスター大学に留学
移民・難民問題に目を向ける

イギリスのマンチェスター大学では、開発途上国の課題を政治学や経済学といった視点で学ぶことで、開発分野への関心が強くなりました。また、留学時のイースター休暇に参加したセルビアとコソボでのNGOでのインターンシッブは、大きな経験です。セルビア系とアルバニア系の対立・紛争により国内避難民となった方々は、国際法上の庇護・保護を受けられず、キャンプの周りではいわゆる「ヨーロッパ」といえるような暮らしが広がっているのに、彼らは「食料も、職も、希望もない。」と言い切り、それが頭から離れません。また、ノルウェー人やイギリス人の親友と呼べる友達ができ、彼らと普段の生活を通じて、階級、民族、宗教、欧州の国同士の違い、移民・難民などに初めて目を向けるようになりました。

4回生
自分のやりたいことで
ご飯を食べるには

就職か、大学院進学か

6月に留学から帰国。留学中に修得した単位が京都大学の修得単位として認められて、卒業に必要な単位はすべて揃いました。イギリスの大学院への出願準備を進める一方、国際法で保護されない国内避難民の支援について関心を持ち、東京のUNHCR(国連難民高等弁務官事務所)駐日事務所でインターンをしました。また、関心のあったJICAとJETRO(日本貿易振興機構)を受験したところ、オファーをもらえたので、大学院に進学するかどうか、非常に悩みました。

JICAへの入構を決心、
そして夢であった国連での勤務

最終的には、開発分野に関わる国際機関等で働きたいのであれば、まずJICAで働いてみるのも良いのでは、とUNHCRの方に助言いただき、JICAへの入構を決めました。そしてJICAでの経験を経て、夢であった国連開発計画で働く機会を得ました。