修了生インタビュー

村井 淳一 むらい じゅんいち

税理士

平成16年3月 専修コース 修士課程修了
平成28年3月 法政理論専攻 博士後期課程単位取得

大学院入学を志したのは、税理士を開業して3年目、37歳の時でした。

大学卒業後、公務員として、その後は税理士として、税務の現場を十数年経験してきた私は、「税」の実務にはそれなりの自信もあり、税の専門家としての自負もありました。しかし、それだけでいいのだろうかという疑問と、実務とは違う目線で「税」を捉えなおしてみようという思いから、大学院での税法の研究を思い立ちました。これが大学院への・・・40歳を目前にした、かなり遅い・・・スタートでした。

修士課程(専修コース※)

大学院入試は専門科目の論述試験と口述試験のみであったため、大学卒業後のブランク(特に語学)の影響もなく、何とか乗り切れたのですが、心配のタネは、大学卒業直後の若い院生と伍して、議論や研究を続けていけるかという点でした。しかしそれは全くの杞憂でした。当時の専修コースは社会人にも門戸を広げており、企業や官庁からの派遣の学生や仕事を持った社会人の入学者も多く、38歳の自分よりも年長者が何人もいたのです。特に、自分と同じ税法専攻の同期入学者が私よりも10歳以上先輩の税理士であったことは、非常に心強く感じられました。

修士課程(専修コース)での研究は、必ずしもプロパーの研究者を目指すものではないため、語学の習得をベースとした外国文献での研究よりは、現実の経済・社会問題を、法律の目線で研究することに重きを置いていたように思われます。したがって、私自身の研究においても、単に論文を読むというよりは、それを基礎に議論を戦わせ、問題の探求と解決策を探るということを重視していました。その点では、法律の知識に加えて各方面での実務にも長けた社会人院生の存在は非常に大きな刺激となりました。

今も鮮明に記憶に残る二つのことがあります。一つは、当時の指導教授のスクーリングでの「大学院の授業ですから、ここでは『学問』をしましょう」という言葉です。単に既存の知識を習得する学習(勉強)ではなく、その真実や根幹を探求することこそが重要であり、また、真実や根幹を探求する中では、教員も学生も同じ立場で対象(法律)に向かい合っている、ということなのかと、自分なりに理解していました。もう一つは、専門科目(租税法)のスクーリングでは、自明とされる概念や単語に常に疑問の目が向けられるという点です。例えば、最先端の金融取引に係る租税問題を扱ったとしても、「そもそも金銭とは」や「そもそも取引とは」というふうに、当然既知であるはずのものにも常に疑問が投げかけられ、議論が始まります。これは、これまでの実務や勉強の中では考えられなかった、新たな経験でした。

研究活動においては、法学部図書室の充実した(圧倒的な)蔵書量に助けられ、また、共同研究室の真剣な中にも和やかな雰囲気の中で研究に励むことが出来ました。しかし、仕事を持った社会人院生にとっての問題は、大学での研究活動に費やす時間をいかに確保するかという点に尽きます。当時はスクーリングがすべて平日であったため、週のうち2.5日を大学で過ごし、3.5(~4)日を仕事に充てるという生活にならざるを得ませんでした。仕事と研究活動の両立は、相当の努力と周囲の協力がなければ成り立ちません。特に家族にはかなりの苦労をかけてしまいましたが、ようやく修了することが出来ました。

※「専修コース」は、現在の「先端法務コース」と類似したコースです。

博士後期課程

その後、税理士を取り巻く環境は、実務においても、法律に則った適正手続きや法的な思考が、より求められるようになってきました。そんな中、博士後期課程への編入学を決めたのは修士課程修了後8年目、50歳直前でした。この歳で博士後期課程へ復学することに対しては、大きな葛藤があったことは事実です。仕事量や各種の役職・責任が10年前とは比較にならないほど大きくなり、時間と体力がどれだけ無理を聞いてくれるかが問題でした。

博士後期課程は、基本的に研究者養成の観点から、語学をベースとした比較法的研究がスクーリングの中心となります。語学から離れた仕事をしている自分にとってはかなり厳しいものでしたが、他の院生の皆さんに色々と迷惑をかけつつも何とか出席だけは続け、1年間の休学を挟んで4年間で単位取得となりました。

それと並行して論文の執筆に力を費やすのですが、問題はこの時間をどのように捻出するかです。ほぼ連日、税理士業務や各種会合等の雑務に追われ(実は、それは論文が捗らないことの言い訳なのですが)、研究に没頭できない日々が続きました。その時には、指導教授から「どんなに仕事が忙しくても、毎日、中学生くらいの勉強量(3時間程度)は確保してください」との言葉をいただきました。結果的に言えば、博士後期課程在籍中には論文の完成には至らなかったのですが、研究を続ける姿勢を持ち続けることこそが重要なことであろうと思っています。

京都大学の大学院で学んだことにより、日常業務として行う「税」の実務に、きっちりと「背筋が通った」感がしています。更に、税理士業務だけではなく、大学での非常勤の教員や講演・執筆等にも生かすことができています。そして、これからも研究を続けようと考えています。

論語には「吾十有五而志乎学」(吾十有五にして学に志す)とありますが、志すのに「遅い」ということはありません。また「五十而知天命」(五十にして天命を知る)とありますが、学び続けることと学ぶ(学問する)ことの重要さを語ることは、与えられた役割かもしれません。一人でも多くの方が京都大学大学院の法学研究科で学問に志されることを願っています。

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