法科大学(1899-1919)

法学研究科・法学部の歩みは、明治32(1899)年創設の、京都帝国大学法科大学に始まります。法学研究科・法学部は、それ以来100年以上にわたって、時々の時流に追随することなく、学理を徹底して究明する姿勢を教育・研究の基本に、わが国における法学・政治学にかかる教育・研究の中心的存在としての役割を果たしてきました。

法科大学は、我が国第二の「帝大法科」であり、先発の東京帝大法科の競争者として、教育面において、学生の選択の幅を広げて、「独立自修」の気風を養い、単なる知識習得とは異なる「法的修練」のため、独自の科目編成・演習・試験制度の導入等の取り組みがなされました。

旧制法学部(1919-1949)

大正8(1919)年に学制改革が実施され、法科大学は京都帝国大学法学部に改組され、経済学部との分離もなされました。入学定員は順次拡大され、昭和初期には、毎年500人にも及ぶ学生を受け入れるようになり、多くの卒業生が社会の各方面において活躍するようになりました。教授陣も充実し、独創的な研究成果も次々に発表され、この時期、法学部の評価が大いに高められました。

こうした中で、昭和8(1933)年の京大(瀧川)事件が起こりました。自由主義的言論に対する圧迫が強まる中、瀧川幸辰教授の刑法学説が問題とされ、法学部教授会の反対にもかかわらず、政府による瀧川教授休職処分が強行され、それに対する抗議として、多くの法学部教官が大学を去りました。このような行動を支えたのは、学問の真正な発達は、教員人事について、国家の干渉を断固として排除しなければならないという信念であり、瀧川事件での法学部の行動は、大正2・3(1913・1914)年の沢柳事件とともに、我が国における大学の自治の確立に大きく貢献することとなりました。

新制法学部(1949-1992)

京都大学は、昭和24(1949)年に、新制大学である、国立京都大学として生まれ変わりました。法学部も、昭和25(1950)年より、新制の学部生を受け入れ(定員250人)、昭和28(1953)年には、新制の大学院法学研究科を発足させました。

学部の入学定員は、昭和41(1966)年に、330人に増加し、昭和57(1982)年には、350人となりました。その後も入学定員は増加し続け、昭和61(1986)年以降は、定員の臨時増加により、400人から410人の新入学生を受け入れていました。また、大学卒業者、とりわけ社会人のための第三年次編入学制度の導入や外国学校出身者に対する特別選考制度など、多角的な門戸開放を積極的に推進し、社会的要請に応ずるとともに、多様な学生の相互啓発による教育効果の向上に努めてきました。

講座数も、着実に増加し、新しい学問分野に対する教育・研究の充実が図られました。また、昭和54(1979)年には、附属施設として「国際法政文献資料センター」を設置する等の、教育・研究環境の整備も積極的に行われました。

大学院の重点化(1992-2004)

平成4(1992)年の、いわゆる大学院重点化により、これまで学部にあった講座を大学院博士課程に移し、学部教育は大学院の教員が兼担することとなりました。従来39あった学部の講座を21の大講座に再編して研究組織を柔軟化し、実務と積極的な交流をはかりつつ横断的かつ先端的な問題領域に取り組む「総合法政分析大講座」を設けました。高度に専門化した先端的あるいは実務的学問領域にかかる教育は大学院にゆだね、学部教育は基礎的科目に限定して段階的なカリキュラム編成とするように、その教育における役割の明確化が図られたのです。

大学院重点化と同時に、大学院レベルでの教育・研究体制の拡充をめざして、修士課程に法律・政策にかかるプロフェッショナル教育をめざす「専修コース」が新たに設けられました。平成10(1998)年には、実務との交流を一層促進し、実務志向型教育・研究をさらに充実させるために、第二の附属施設として「法政実務交流センター」を設置しました。

国立大学の法人化・法科大学院の設置(2004-)

平成16(2004)年の国立大学の法人化により、これまで国立学校設置法に基づいて設置されていた「京都大学」は、「国立大学法人京都大学」が設置する「京都大学」となりました。法学研究科は、同年に抜本的な組織再編を行い、法政理論専攻・国際公共政策専攻及び法曹養成専攻の三専攻体制となりました。従来、研究者養成を担ってきた4つの専攻(基礎法学、公法、民刑事法、政治学)は、法政理論専攻(修士課程入学定員15人、博士後期課程入学定員30人)に改編されました。その後、平成28(2016)年には修士課程に新たに先端法務コース(入学定員6名)が新設され、これに伴い従来の修士課程15名の定員分を研究者養成コースとし、博士後期課程の入学定員も24名に改められました。法政理論専攻は12の大講座により構成されますが、修士課程研究者養成コース及び博士後期課程では、広い視野に立って深い学識を修め、法学・政治学の分野における優れた研究能力と教育者としての資質を涵養すること、修士課程先端法務コースでは、企業法務を中心とする先端的な法的問題に対応できる高度な調査能力と分析・判断能力を備えた専門家として活躍することができる人材を養成することを主な目的としています。

国際公共政策専攻は、それまで教育プログラムとして運営されていた専修コースの趣旨をより明確にするため、組織を改編して設置されたものですが(入学定員30人)、平成18(2006)年には、これを発展的に解消し、経済学研究科と協力して、専門職学位課程である「公共政策大学院」が設けられました。

法曹養成専攻は、1学年160人(平成16(2004)年の創設から平成21(2009)年までは200人)の専門職大学院設置基準に基づく法科大学院(専門職学位課程)です。法科大学院制度は、日本社会の高度化・複雑化・国際化等に対応するための司法制度改革の中心に位置し、大学における法学教育、司法試験、司法修習を有機的に連携させる「プロセスとしての法曹養成」という新しい考え方を中核とするものです。

法曹養成専攻の設置との関連において、法政実務交流センターに法科大学院準備部門を設置し、法実務及び行政実務の経験者を任期付のいわゆる実務家教員として任用する制度が設けられました。

このような改革との関連において、法学部教育も変容を受けることとなりました。法学部の学生定員は、平成12(2000)年から1学年360人となっていましたが、きめ細かな学部教育に資するため、平成16(2004)年からこれを330人に縮減するとともに、大幅なカリキュラム改革が実施されました。高度な専門的・技術的分野の教育は、法曹養成専攻が中心となり、法学部においては、ゼネラリストとして社会の各界で活躍する人材を育成するため、幅広い学識・教養を修得させ、制度・社会に関する基本的知識を教授することに焦点が当てられています。

なお、平成28(2016)年から新しい教員組織を設ける「学域・学系制」が発足し、法学研究科の教員は、教員組織として「法学系」に所属しています。

近時においては、進路にかかる多様な志向に応えるために、カリキュラムの大幅な改正も行われています。平成29(2017)年度以降の入学者については、高い能力を持ち、より早く法曹として活躍したいと希望する学生が学部を3年で卒業することができる早期卒業制度を京都大学として初めて導入しました。また、令和2(2020)年度には、法学部において、京都大学法科大学院の教育課程と連携した法曹養成のための教育プログラムである「法曹基礎プログラム」が開設されました。

研究においても、各領域で果敢な挑戦が続けられていますが、さらに、科学技術の進歩と急速化するグローバル化・地球環境の変動などに伴って生じる社会システム全体のパラダイムシフトに対応するために、令和3(2021)年4月には、先端的な法政策課題について理論と実務が共同して学際的・国際的研究に取り組む法政策共同研究センターが設立されました。これは、従来の国際法政文献資料センターと法政策実務交流センターを発展的に改組したものです。

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